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2016年7月 2日 (土曜日)

父子 美への気もち  ― 奥村土牛と奥村森


「人間だからね、人間なんだから」

「美の巨人たち」のディレクターの言葉。人と関わって仕事をしていく中で間違ったり、思うように進まなかったりする時に、人を責めず柔らかく労わる言葉で、反面放っておけば安きに流れがちな己を律していく時の言葉だそうである。人として理想を掲げたとしても、振り返って恥ずべきことは役々多い。其れでも日々何かを良くしようと務める。それが「人間なんだから頑張ろうよ」なんだと奥村先生は言う。



 語られることのない真実

 テレビ東京の番組「美の巨人たち」で、「奥村土牛(とぎゅう)作『城』『門』」が放送される予定である。(平成28年7月16日土曜日 夜10時から10時30分)、松庵舎講師の奥村森先生(本名・勝之、以降、奥村先生)が解説者のおひとりとして出演する。

この記事は放送後もずっとインターネット上に残るから、これまで語られることのなかった先生の姿を描こうと思い定めた。何しろ記事を書く身にとって目の前30㎝まで大きな絵に近づいてしまって、その感想を書くようなもので至難の業である。先生と初めてお会いしたのは16年程前で、約8年前からは小さな地域のカルチャー教室「松庵舎」で講師をしていただいている。だからこの記事を書いていいのかどうかも悩むところだった。けれども。人間だから、の視点を含みつつ、憶測や噂を信じてしまうのではなく、敢えて先生が語らなかったことに大切な想いが隠されている。その事を必要な人に伝えたいと願っている。


 生い立ちと家族

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 先生は日本画家・奥村土牛の四男で、父・土牛は明治末期から昭和にかけて地道で真摯なあゆみを続けた画家である。昭和22年、横山大観より芸術院会員に推挙され、昭和37年文化勲章を受章。杉並区名誉市民でもある。奥村先生は昭和20年4月、土牛56歳の時に長野県臼田町で生まれた。戦中の疎開先での誕生に両親は無事に育つかと心配をし、父は早く一人前になるよう時々に諭したそうである。本格的に絵が売れはじめ、食べられるようになったのは土牛65歳頃からであり、それまでは逓信省の下絵を描いたり、大学で教えたりしていた。近所に住んでいた吉川英治が子沢山を見かねて、顔が似ているという理由だけで毎日妻に食事を運ばせ、母仁子(きみこ)の姉・森静江が職業を持ち、義弟の家族を支えた。労わりあうよき時代でもあったのであろう。けれども一途に画道に邁進する姿勢と謙虚さ、そして素直さが家族や周囲の人にそのようにさせたのではないだろうか。先生の話される土牛像に素直なところが似ているので、それが自然なことと思える。そして大成するかわからない無名な画家を伴侶に選び、文句のひとつも言わずに支え続けた家族は稀有である。一人の人が或る才能によってひとかどの道を歩めたのは、そのような環境や支えがあってのことなのである。

 とは言ってもそこは明治の人であって、昭和27~30年頃、奥村先生の小学校同級生である冨澤君が、神田川に筏を作って浮かべようと遊びに行くと、画室で黙々と描く姿が見え、「ぎょろり」とにらまれたという。奥村家で同級生と漫才をやることになった時も、他の家族は子供のやることにお愛想でも笑ってくれたのに、にこりともせず「ぎょろっ」と見つめる土牛の姿が印象的だったという。日本画家として対外的に出会った方々の印象が夫々どうであったかはわからないが、家族の前での素顔の奥村土牛はとても素直な人であった。


私たちの願い

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奥村先生は土牛の人間としての真実の姿を伝えたいと願って活動をされている。普通は親の姿を伝える事に人生を費やしたりはしない。けれども一人の画家が誕生するためには玉虫色ではなく、家族中が苦労を共にしたり、犠牲になったりせざるを得ない。画家として認められるまでの遠い道のりを信じて、プライドを保ちながら邁進し続けるエネルギーを家族が与え続けなければならないのである。世の中がどのように扱おうと、作品はそこから誕生している。だから画家や作品を見つめるためには、真実こそが大事なのである。

番組では「門」のスケッチ旅行に母・仁子とともに同行した記憶をたどり、「素顔の土牛の人となり」から生まれた作品について解説をする。『城』と『門』。二つの作品は国宝・姫路城を描いた数少ない作品である。そのエピソードは松庵舎講座「美を楽しむ」のレジュメに詳しく書かれているから、ご興味あれば読んでいただきたいと思う。(要お問い合わせ 松庵舎)

 そんな奥村先生をインターネットで検索すれば様々な情報が混在している。この記事の前に読んだ方もいらっしゃるだろう。一番有名なのは課税評価が決まる前に素描等を焼いたエピソード等が語られる『相続税が払えない』(ネスコ)である。インターネットには多くの人々が関心を持って書籍等に当たって感想を書いておられる。ただ本に書ける事には限界もあり、残念ながら先生が本当に大切にされたことはそこには見えてこない。美術界では有名な話であり、当時問題となっていたことは評価額の高い画家の絵を相続した場合、相続税額が現実に遺族が手にする報酬よりも著しく高いことだ。つまり相続税が払いきれないということである。その為に絵が闇に四散し、芸術的な国民資産が大切にされない事を危惧して、先生は努力されたのである。

 世の中の流れに任せて正面からの解決を諦めてしまうと、状況が良くならないばかりか、人の心も堕落の道をたどってしまう。どんなに自分が苦しい時でも、何かを善くするために一旦決めると、ご自身がどうなろうと無謀でも身体を張ってしまわれる。勿論、そんな先生でも人間だから、若い頃から失敗や恥も沢山かいている。失敗多き人間が正義を振りかざすように感じて先生をアナーキストと思った人もいるし、身近な人にとっては「なんでそんなことを始めるのか、大変なとばっちりを喰うのに」と思うだろう。『相続税が払えない』はそんな経験だったはずだ。けれども最後まで意思を通して美術品の相続税制度が変わるまで粘った。ご家族の苦労はそのようなことで心癒されるとは思わないけれども、芸術を大切にする人々にとっては一歩の前進であったことには間違いない。そこに先生の芸術に対する姿勢があるのである。

 そんな奥村先生が「素直」であると言ったら、不思議に思う人もいるだろう。「一度決めたら頑固」「しぶとい」と「素直」がどのように同居するのか。先生は他人の意見を聞く事にとても素直な人である。奥村土牛は「鳴門」を描いた際、当時高校生だった先生が鳴門の渦を「これシュークリーム見たいだよ」と言っても怒らずに素直に直しを入れた。奥村先生は、若者の意見にも真剣に耳を傾け、知らないことは知らないとはっきり言える素直さがある。

奥村先生は地域の小さなカルチャー教室である松庵舎で、専門である写真と西荻春秋を作っている「ぶらり取材体験」という講座の編集長をしてくださっている。3か月に1度「美を楽しむ」という講座で、父・土牛の画業や子供の頃から触れてきた芸術家達の姿勢を伝えるお話しをする。奥村先生との間には、芸術に対する共通の「想い」がある。作品は「芸術的な価値」を見出される前に、その画家の生き方、つまり「人となり」が生み出したものであるということである。創作に向かう時、単なる思考的構築ではなく、内面を人間的哲学的に磨いて表現を高めていくことが芸術だと思っている。その考え方を拠り所として本質を研究することの重要性と、そうして初めて真実の姿が伝わるにも関わらず、それが如何に難しいか、である。反面、享受する側のわたしたちにとって、芸術は大抵必ずしも身近なものでも優しいものでもない。画家が絵に込めたもの、働きかけてくるものは見えているものだけに留まらない。絵を取り巻く社会も真実を見えにくくする。時として天空の存在へと祭り上げられたたり、全く見向きもされなかったりする。世俗的な評価が独り歩きしがちなのは、一般的にわかりにくいものに対して、かつてはその時代の権威、現在は人気等が投機的価値を持って芸術にまとわりついていたからである。だから誰かの価値観ではなく、自身の価値観で作品を味わってほしい。

更にはもっと純粋に、時代が変わっても普遍的な価値を見つけ出せないものだろうか。人気によって高く評価された作品でも、時代が移り変わって誰も知らない画家になっていたり、良い作品であっても評価が低く、知られることなく埋もれて消えてしまったり。美術史上重要な人物の作品であっても、現代美術の人気作家より価格が低く設定されたりする。資本主義経済の中で生きてはいても、そこを重要視しない限り、本来、普遍的価値を持っているはずの芸術が、資本主義的貨幣価値へ変換されることに一喜一憂し続けなければならない。そのことに画家や遺族たちが人生を翻弄されることは、苦悩の道だと思われる。そのような思いを共有できるのが先生である。

画家・奥村土牛の素顔や真実を語ることは時としてそのような美術界に、一石を投じてしまう。それでも、これからは真実を語り伝えるために、牛の歩み資料美術館の開設準備を始める。職人であり「芸術」ではなかった古から、芸術に依って生きることは難しいことであった。でも未来は芸術本来の作用や営みがより幸福なものとなるよう、私たちは努めなければならないと思っている。


 文・窪田幸子(牛の歩み資料美術館開設準備室長 学芸員)

写真・奥村森 



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